【公務員試験】日本史の頻出暗記ポイントまとめ!ここはよく出る!【試験対策】

公務員試験の教養試験で日本史を勉強する必要がありますが、数的推理や専門試験の対策でなかなか時間が取れず、十分に試験対策を行うことって難しいですよね。

地方上級公務員試験では、日本史は3問出題されます。地味にウエイトを占めますので全く対策しないことはこちらのページでも解説しましたが控えるべきでしょう。

【地方上級】日本史・世界史の勉強方法【独学】

しかし、日本史の出題範囲は、大学のセンター試験と同等。すべてを完璧に対策するということはまず無理です。

よって、本ページでは地方上級試験における日本史の傾向をもとに、最低限ここだけは押さえておきたいポイントを具体的にまとめました。

ぜひ、試験勉強の参考にして効率的に勉強してくださいね

試験によく出る内容だけを厳選して紹介しますよ!
なるほどーここだけでも覚えてみようかな!

 

目次

地方上級試験における日本史の出題ポイントの概要

日本史と言っても、縄文時代の話から第二次世界大戦以降の話まで、膨大な範囲がありますがどこが主に出題されるのでしょうか。

地方上級試験においては「織田信長の時代~第二次世界大戦まで」が主に出題されます。体感的にはここが8割!よってここだけ押さえておけばよいでしょう。具体的には以下のような項目になります。

・室町時代

・安土桃山時代

・江戸時代

・明治時代

・第一次世界大戦

・第二次世界大戦

・第二次世界大戦後

以下解説の読み方について

赤マーカー⇒超重要

黄色マーカ⇒重要

黒字⇒参考レベル

このようなルールで解説していきます。

ちなみに、年号を誤った数字で出してくるといったことは公務員試験ではありません。よって年号は覚える必要はないのですが、時系列を理解するために参考で記載しています。年号が書いてあるところは、どのような時系列でことが起こったのかを理解する参考にするようにしてください。

また、参考として画像を多く掲載していますが、試験で画像が出ることもないようです。暗記するときに画像があると覚えやすいと思いますので参考で掲載しています。

織田信長の時代(室町時代)について

まず、以下を押さえておきましょう。

・ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来した(1543年)

・キリスト教が伝来した(1549年)

大友 義鎮、有馬 晴信、大村 純忠はキリスト教を保護した。

織田信長の活躍について

織田信長の活躍の概要は以下の通りです。

・1560年 桶狭間の戦いで今川義元を破る(今の静岡県あたり)

・1568年 京都に入京。足利義昭を15代将軍にする。

 ⇒なお、その後1573年に義昭を追放。室町幕府ここで滅亡

・1575年 長篠の戦いで、足軽鉄砲隊で武田勝頼を破る

・1576年 安土城の構築開始

・1582年 本能寺の変で、明智光秀に暗殺される

 ※年号はあまり覚える必要はありませんが、この順番は覚えましょう。

織田信長の宗教弾圧について

織田信長は以下の活動を行い、仏教を弾圧したということを覚えておきましょう。

比叡山延暦寺の焼き討ち

 

豊臣秀吉(安土桃山時代)について

つぎに、秀吉の活躍について以下の通り覚えましょう。

・1582年 明智光秀を滅ぼす

・1583年 大阪城を築城開始

・1585年 関白に就任

・1587年 九州の島津氏を平定し、バレテン追放令を出す

・1588年 刀狩り、海賊取り締まり令を出す

・1592年 朝鮮出兵(文禄の役)

・1597年 朝鮮出兵(慶弔の役)

豊臣秀吉の政治について

惣無事令の制定

 大名に争いを禁じ、受諾した大名には地位を保証した。

太閤検地(収入を石高制に見直した

刀狩り(農民が一揆をしないように刀を没収した)

・キリスト教の禁止

・朝鮮出兵(2回あった!2回とも失敗)

・南蛮文化

・金色が好き(金色の茶室や金色の屏風を作った)千利休や狩野永徳が活躍

・五奉行(代表的な人:石田三成)

・五大老(代表的な人:徳川家康)

大老や老中の設置

過去問check!!

2001年 国家二種

戦国大名の一人である織田信長は長政の徳政一揆を平定して頭角を現し、桶狭間の戦いで武田氏を破り、京都入りした後は室町幕府を滅ぼした。その後天皇から日本全国の支配権を委ねられたとして惣無事令を出し、争っていた大名たちに停船を命じ、領地の確定と裁量を任せることを強制した。

⇒織田信長が桶狭間の戦いで破ったのは今川氏たぞ!(正解:×)

⇒惣無事令を出したのは豊臣秀吉だぞ!

織田信長、豊臣秀吉時代の文化について

桃山文化と言われ、以下のようなものが代表的。

重層な天守閣を持ったお城

・安土城

・大阪城、伏見城

金箔が施された絵画や屏風

・唐獅子図屏風 狩野永徳

・洛中洛外屏風

・黄金の茶室

 

江戸時代(初期)について

まず、徳川家康が江戸幕府を設立するまでの時系列についてです。

1584年 小牧長久手の戦い(秀吉と和睦)

1590年 関東(今の東京)に左遷される

1600年 関ヶ原の戦いで石田三成を破る

1603年 征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く

1614年 大阪冬の陣

1615年 大阪夏の陣 豊臣家滅亡

江戸時代初期の政治について

・親藩、譜代、外様大名

親藩には徳川一門が就任し、江戸周辺や重要拠点に領地を持った

譜代は、三河時代の家臣が就任し、その次に重要な拠点に領地を持った

外様は、関ヶ原の戦い以降に家臣になったものが就任し、僻地に領地を持った

・武家諸法度(元和令)

2代将軍徳川秀忠の時代に制定された。

内容として、全国の大名に居城を1つだけにして、それ以外の城を破壊させる「一国一城令」が定められた。

・武家諸法度(寛永令)

3代将軍家光の時代に制定された。

内容として「参勤交代」が制度化された。参勤交代とは、各地の大名が江戸と自分の領地を1年交代で居住しなければいけない制度で、外様大名は領地が江戸から遠かったので、これで国力を消費させて反乱を起こさせないことを目的にしたようです。

・大老や老中の設置

過去問check!!

1998年 国家二種

大名を徳川氏との親疎に応じて、親藩、譜代、外様に区別し、親藩、譜代らは全国の要所におき、外様は遠方に置き、幕府への反抗を防止した。さらに外様大名については、一国一城令を定めて、居城以外の城を破壊させた。

⇒一国一城令は、譜代大名にも課されたぞ!(正解:×)

過去問check!!

1998年 国家二種

武家諸法度を制定したのは5代将軍綱吉であり、大名の妻子を人質として江戸に住まわせ、江戸と領地を往復させる参勤交代を義務付けた。江戸滞在中の諸経費は石高に応じて幕府が負担したが、往復の金は反の負担の為、藩財政を圧迫した。

⇒武家諸法度を最初に制定したのは二代将軍秀忠だぞ!

⇒また、参勤交代を制定したのは3代将軍家光だぞ!(正解:×)

江戸時代初期の朝廷に対する対応

・禁中並公家諸法度

武家と公家は別物であるとして、天皇の政治介入を防いだ政策です。

・京都所司代

朝廷を監視するために設置。

過去問check!!

1998年 国家二種

幕府は、朝廷が外様大名と結びつかないように経済的には十分すぎるほどの金銭を与える一方で、武家伝奏を通じて京都守護職に日常的に調停を監視させ、違反したときには、禁中並公家諸法度によって罰した

⇒監視していたのは京都所司代だぞ!(正解:×)

鎖国について

オランダ、清、朝鮮以外の国とは貿易や交流をしない「鎖国」を実施していた。

清との貿易⇒朱印船貿易を実施

オランダとの貿易⇒糸割符制度を実施

朝鮮との貿易⇒対馬藩を通じて実施。

江戸時代(徳川綱吉~)について

徳川綱吉、新井白石、田沼意次、松平定信の時代の江戸時代について解説していきます。

徳川綱吉について

・生類憐みの令

・質の悪い貨幣鋳造

綱吉の時代に入る前に明暦の大火という大火災が江戸で発生して復興に莫大なお金がかかってしまっている。

そんなことがあり、綱吉の時代は幕府が経済破綻寸前。財政復興のために質の悪い元禄金貨、銀貨の大量発行したが、っこれが逆効果で、物価上昇を引き起こしてしまった。

また、生類憐みの令(動物を殺してはいけないという令)という令も出し社会がさらに混乱してしまった。結果として、綱吉の政治は失敗したと覚えておくこと

↓元禄小判

 

・湯島聖堂/聖堂学問所の設立

・林信篤を大学頭に任命

新井白石について

・貨幣の改鋳

綱吉が製造した質の悪い金貨銀貨を改鋳し、良質なものにしたことで物価を安定させた。

享保の改革と寛政の改革、天保の改革について

次は享保の改革を行った徳川吉宗と、寛政の改革を行った松平定信、天保の改革を行った水野忠邦についてです。

徳川吉宗について

・享保の改革を実施した。

・米将軍と言われており、米の増産に貢献した将軍である。

・上げ米

 大名に米を上納させることで、参勤交代の期間を延ばした。(1万石につき米100石を献上させる)

・株仲間の公認(認めなかったとひっかけが多く出る)

 物価の上昇を抑えるために、公認した。

・定免法の制定

 年貢の量を、豊作不作にかかわらず、一定とするようにして安定した年貢収入を幕府が確保できるようにした。

・足高の制(人材登用制度)

 禄高によって就任できる役職が決まっていたが、禄高が足りない人も登用して在任中は不足分は幕府が補うようにした。これにより、優秀な人材が登用できるようになった。

・相対すまし令

 市民の金銭の争いごとは、個人間で解決するようにした。

・公事方御定書

 幕府の出した法令を整備したもの

・目安箱の設置

 意見投書箱を設置して、江戸の住民の声に耳を傾けるようにした。

 →声を基に小石川養生所を設置した。

しかし、住民の年貢の負担を4割から5割に引き上げたことや、享保の飢饉が発生したことからコメの価格が上昇し、江戸で一揆や打ちこわしが発生。吉宗の時代の後半には吉宗のこれらの政策はうまくいかなくなってしまう。

田沼意次について

吉宗の時代に実施した年貢の増加策が頭打ちになったため、商業の発展を目指した。

・俵物を清に輸出することで、輸入超過を解消し金銀を取り戻す。

南鐐二朱銀の製造

 両替が今までよりも簡単にできる通貨を作った。

 

・株仲間の奨励

 商人から得られる税金の増加を狙った。

・長崎貿易の奨励

・蝦夷地の開発

・印旛沼手賀沼の開拓(失敗)

ちなみに、田沼意次は浅間山の噴火や、天明の飢饉がひどくなった影響で最後失墜してしまう。

松平定信について

・寛政の改革を実施。(過去に試験で一番出たキーワード)

・棄捐令

 財政難になった旗本や御家人を救済するために借金の帳消しを認めた

・義倉社倉の製造

 天明の飢饉を元に、穀物を貯蔵しておく倉庫を作らせた。

・囲い米

 飢饉に備えて諸藩に米の備蓄を命じた

・旧里帰農令

 江戸に出稼ぎに来ていた農民を田舎に返そうとした(失敗)

・ラックスマン(ロシア)の来訪

 日本への通称を求めて日本に来た。鎖国を理由に帰ってもらった。

水野忠邦について

・天保の改革を実施した。

・人返しの法

 出稼ぎで江戸に来ることを禁止した。

・株仲間の解散

 商品の独占流通をやめさえせた

・上知令(失敗)

・大塩平八郎の乱

 天保の飢饉の影響で、大塩平八郎が乱を起す。

・蛮社の獄

 異国船打払令を批判した蘭学者を弾圧する。

・異国船打払令(徳川家斉が実施)

 外国の船が来訪した場合、撃沈させよという令を出した。

・異国船打払令に対して、天保の薪水給水令

 アヘン戦争で、清が敗北したのをきっかけに、異国船打ち払い令を撤回し、撃沈させるのではなく薪や水をあげて帰ってもらうようにすることにした。

・聖堂学問所を昌平坂学問所に改称した。

 

幕末について

1853年 ペリー来航

 ・黒船で浦賀に来る。大統領の国書を受け取るように要求。老中の阿部正弘が受け取る。

1854年 日米和親条約締結

 再度ペリーが来日。アメリカの要求を受け入れ条約を締結。内容として、下田、函館の開港。片務的最恵国待遇(常に最もよい条件でアメリカを優遇する条約)を結ぶ不平等条約だった。

 さらにその他、ロシア、オランダ、イギリスとも同様の条約を締結してしまう。(「あおいろ」と覚えるとよい。)

1858年 日米修好通商条約

 井伊直弼が、朝廷からの許可を得ることなく無許可で条約を締結してしまう。内容としては以下のような不平等な条約だった。

 ・下田函館に加えて、神奈川、長崎、新潟、兵庫を開港する。

 ・アメリカ人が日本で犯罪をしても日本のルールではなくアメリカのルールで罰する。

 ・日本には関税自主権なし

 さらに、同様の条約をアメリカだけでなく、オランダ、イギリス、フランス、ロシアと締結してしまう。(青い風呂と覚える)

1858年 安政の大獄

 井伊直弼が自分に反対した橋本佐内や吉田松陰らを死罪にする。

1860年 桜田門外の変

 安政の大獄に反対した水戸浪士が井伊直弼を暗殺する。→幕府の独裁体制が崩れ始め、尊王攘夷論が始まる。

1862年 文久の改革

1862年 生麦事件

 薩摩藩の行列を横切ったイギリス人が殺害される。

1863年 薩英戦争

 生麦事件の報復として、イギリスと薩摩藩で戦争が起こり、薩摩藩は大規模な被害を受ける。

1863年 八月一八日の政変

 長州藩が、下関を通過する外国船を砲撃する等の対応を行ったことから、幕府として長州藩を排斥したいという考えが起こり、長州藩の三条実美を京都から追放する。

1864年 禁門の変

 新撰組により、攘夷志士が池田屋で誅殺される池田屋事件が発生。これに長州藩が激怒し薩摩会津藩と御所で戦争になる。

 幕府がその後、長州征伐を実施長州藩は合わせてイギリス、フランス、オランダ、アメリカから下関での外航船砲撃の報復を受けてしまう

 この後、高杉晋作や桂小五郎らが幕府に抵抗を始める

1866年 薩長同盟成立

 土佐藩の坂本龍馬が仲介となり、薩摩長州藩が倒幕に向けて同盟を結ぶ。

 このころ「ええじゃないか」という乱舞が世間で発生。

1867年 大政奉還、王政復古の大号令

 武力討幕派の機先を制して政権を奉還すべし、という山内義重の進言を受け、徳川慶喜が政権を天皇に返上。これにより260年間続いた江戸幕府が崩壊する。

江戸時代の文化について

倒幕後の解説に入る前に、江戸時代の文化について解説していきます。

元禄文化と学問について

元禄文化について

 ・井原西鶴の「好色一代男」

井原西鶴の「日本永代蔵」

・近松門左衛門の「曽根崎心中」

・近松門左衛門の「国性爺合戦」

・松尾芭蕉の「奥の細道」

・歌舞伎 市川団十郎

このころの学問について

・林羅山の「朱子学」

化政文化と江戸時代後期の学問、産業経済について

まずは、化政文化についてです。

化政文化

・貸本屋がはやり、風刺、皮肉や滑稽がはやる(東海道中膝栗毛、南総里見八犬伝)

・東海道中膝栗毛

・南総里見八犬伝

・浮世絵

江戸時代後期の学問について

・本居宣長 古事記伝

・杉田玄白 解体新書

産業経済について

・千把扱き

・備中鍬

・五街道の整備

・樽廻船の運航開始

・蔵屋敷

 

明治時代について

ここから、明治時代初期、日清戦争、日露戦争について解説していきます。

明治時代の政治について

鳥羽・伏見の戦い

 旧幕府が新政府に反発。京都の鳥羽伏見で新政府に戦争を行う。(戊辰戦争の始まり)最終的には、勝海舟と西郷隆盛が会談し江戸城を無血開城する。最終的には函館で五稜郭の戦いを行い、旧幕府側を降伏させ戊辰戦争は終結する。

五か条のご誓文

 木戸孝允(桂小五郎)が定める。「広く会議を起こし・・・というフレーズが有名」世論の尊重、開国と和親、海外の知識を求める、攘夷の禁止などが定められた。

五榜の掲示

 キリスト教の禁止。

版籍奉還

 大久保利通や木戸孝允らが発表。旧藩主の大名はみな領地を朝廷に返還し、知藩事とよばれるようになる。政府から家禄が支給されるようになる。

廃藩置県

 藩を廃して、県を新たに設置した。

徴兵令

 満20歳以上の男性は身分に関係なく、3年間兵役が義務つけられた。(ただし代理人料を払った人は免除)

地租改正

 田畑勝手作の禁を解除。地価を決めて地券を発行。地価の3%を税金として納めるように決める。

開拓使の設置

国立銀行条例

 国の法律によって設立された民間銀行。

富岡製糸場

 日本の近代化を目材して設立された初の官営の工業。

身分制度の廃止

 華族、士族、平民と身分を改め、職業選択の自由や、住居移転の自由が認められた。

・廃刀令

 軍人・警官以外は刀を差してはいけないとした。

西南戦争

 西郷隆盛らが、新政府に戦いを挑むが、徴兵制による近代軍隊に敗北。

自由民権運動について

以下の動きを意識しておきましょう。

年号 自由民権運動 政府の対応
1874 立志社設立
1875 愛国社設立 新聞紙条例
1877 西南戦争
1880 国会期成同盟 集会条例
1881 明治14年の政変 明治14年の政変
1881 自由党結成 国会開設の勅諭
1886 大同団結運動 保安条例
1887 団大事件建白運動 保安条例
1889 大日本帝国憲法発布
1890 第一回帝国議会開催

大日本帝国憲法について

天皇が主権を持っている

大日本帝国憲法はドイツの憲法を参考に作られた。

民法はフランスを参考にしたが、その後ドイツ式に改定刑法や商法もドイツ式。

・天皇が定めた欽定憲法を採用している。

戦時の統帥権などを天皇が保持している。

衆議院と貴族院の二院制である

選挙権は直接国税を15円以上収めた25歳以上の男子にある。これは全人口の1%程度

初代内閣総理大臣は長州の伊藤博文

外交政策について

・日清修好条規

・樺太千島交換条約

・日朝修好条規

・琉球処分

ノルマントン号事件

 イギリスのノルマントン号が紀伊半島沖で沈没した。欧米人は全員救助されたが日本人の乗客が全員死亡した。領事裁判制度のためイギリスのルールで船長が裁かれた結果、無罪になってしまったため条約改正の動きが高まった。

条約改正までの流れ

以下の人たちが、順番に条約改正に取り組み、陸奥宗光と小村寿太郎の取り組みの結果、条約改正に成功した。

・岩倉具視(失敗)

 欧米を視察

井上かおる(失敗)

 欧化政策を展開し民間から批判される。外国人判事の任用や、外国人内地雑居を材料に海外と条約改正に向け交渉したが、政府の内部からも批判されてしまう。

 ノルマントン号事件がきっかけに挫折してしまう。

大隈重信(失敗)

 各国に対して個別に外交交渉を実施。右翼のテロにあってしまい負傷し、交渉中止になってしまう。

青木周蔵(失敗)

 イギリスとの交渉中に日本人によるロシア皇太子銃撃事件が発生し、交渉中止。

陸奥宗光(成功)

 日清戦争の直前に、日英通商航海条約を締結し、領事裁判権撤廃に成功。

・小村寿太郎(成功)

 日露戦争後に、アメリカとの交渉に成功。日米通商航海条約締結により関税自主権回復。

日清戦争について

福沢諭吉の脱亜論など日本の中で、清に備え軍拡を進めるように世論が動いた。

発生理由

1894年に、朝鮮で甲午農民戦争が発生朝鮮政府が清に出兵を要請した。これに対抗して日本も朝鮮に出兵したため、。朝鮮半島で日本と清が衝突したことで日清戦争が勃発してしまった。

戦争の結果

日本が勝利し、伊藤博文、陸奥宗光と、清の李鴻章が話し合いをした結果、下関条約が締結された。

下関条約の内容としては「清は朝鮮の独立を保障する。」「遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本へ割譲」「賠償金3億円」「揚子江にある重慶などを開港」を要求した。

また、朝鮮は独立して大韓帝国に改名した。

 

 

 

戦争後

・三国干渉が発生した。

極東への進出を考えるロシアにとって、遼東半島を日本に取られてしまうのは脅威だった。(南下政策に支障が出るため)よって、ロシアはフランスやドイツを誘い、日本に遼東半島の返還を要求した。日本はこれにしかたなく応じたんだか、これをきっかけにロシアに対して敵対心を持つようになったのだ。

八幡製鉄所の開始

日本は、清から得た賠償金を元に、官営の工場を構築した。

日露戦争について

・義和団事件

清国内で、海外の進出に対して外国人排斥運動が高まった(義和団事件)清国政府は、義和団に押されて欧米に対して宣戦布告をしたのだが、欧米と日本の連合軍に鎮圧され、清国は降伏した。

この際に、ロシアが満州を占領したため、韓国を支配したかった日本やイギリスに対して危機感を募らせた。

この結果「日英同盟」が締結され、イギリスと日本でロシアに対抗することになった。

発生理由

日英同盟締結後も、ロシアは満州を占拠したままであったため、日本はロシアに対して交渉を続けていたが、交渉が決裂したため、1904年に日露戦争が勃発した。

日本はロシアのバルチック艦隊を、東郷平八郎率いる海軍の連合艦隊で迎え撃ち迎撃した。(対馬沖の日本海海戦)

戦争の結果

戦争が長期化した結果国力が疲弊し始め、ロシア内で革命がおこるなど戦争継続が困難になったことから、アメリカのルーズベルト大統領の斡旋で講和。日本の小村寿太郎とロシアのヴィッテの間でポーツマス条約が締結された。

ポーツマス条約の内容としては「ロシアが韓国における日本の優先権を承認」「旅順台連の租借権」「満州鉄道の譲渡」「南樺太の割譲」「賠償金はなかったことに注意」

・日比谷焼き討ち事件

日露戦争の結果賠償金が無かったことから、国民が怒り、日比谷で焼き討ち事件が発生してしまったんだ。

 

第一次世界大戦~第二次世界大戦について

ここからは、第一次世界大戦、第二次世界大戦についてを解説していきます。

第一次世界大戦

発生のきっかけは日本史では出題されないので、詳しくは世界史で学んでいただきたいのですが、ヨーロッパで軍事衝突が続いたことがきっかけで1914年から第一次世界大戦が始まる。

日本の参戦について

・21か条の要求

日本は当時、日英同盟を締結していたことから、日英同盟を理由に参戦。1915年に中国(袁世凱)に対して21か条の要求を突き付けた。

・石井=ランシング協定

日米間での協定。日本の中国における特殊権益をアメリカに承認してもらった協定。

ロシア革命の発生

このころ、ロシア革命が勃発。レーニンが主導者になって、社会主義政権を樹立した。

日本は革命の波及を防止するために、シベリア出兵を行った。しかし日本はこのころ食糧不足になっていたことから米騒動が発生。当時の寺内内閣が辞任に追い込まれ、原敬内閣が新たに発足する。

中国朝鮮の独立運動発生

・三・一独立運動

朝鮮で発生。日本の植民地化に反対する運動

・五・四運動

中国で発生。日本に対する反日運動。→ヴェルサイユ条約が締結。(日本の植民地支配の再確認のみ)

国際連盟の発足

ウィルソン大統領の提唱で国際連盟が発足。常任理事国は日本、イギリス、フランス、イタリアなどの戦勝国

アメリカは言い出しっぺだが、常任理事国になってないことに注意!

第一次世界大戦後の日本の政治

・普通選挙法

1925年に普通選挙法が公布され、25歳以上のすべての男子に対して選挙権が与えられた。(全人口の20%)

・治安維持法

天皇制を変革しようとする無政府主義者などを取り締まるために公布された。

また、シベリア出兵後の日本ソ連間の関係を構築するための日ソ基本条約をうけ、共産主義者が活性化することを阻止する事も想定している。

・日本労働総同盟

日本の労働運動。

・全国水平社

部落解放運動

・日本農民組合

農民運動

・大戦後の恐慌発生

大戦中は、造船や軍需から好景気だったが、大戦後の反動で輸入超過になり不景気になってしまう。

・関東大震災の発生

関東大震災が発生、銀行の経営が悪化し休業する銀行が相次ぐ。

・昭和恐慌

関東大震災の結果、金融恐慌になってしまう。

日中戦争

・ロンドン軍縮会議

補助艦の保有率を定めた。しかし、政府が海軍の反対を押し切って条約を締結してしまったので、首相が東京駅で狙撃されてしまう。

・満州事変と満州国の建国

日本内では昭和恐慌の影響で景気が悪く、この状況を打破できるのは満州占領だという考えが強くなる。関東軍が独断で満州鉄道を爆破。犯人を中国軍の仕業であると押しつけ、報復として満州を軍事占領してしまう。

・リットン調査団の派遣

日本の満州事変を不当とした中国が国連へ提訴し、リットン調査団が派遣される。

・五一五事件

犬養毅が、海軍青年将校らに暗殺される。

・国際連盟脱退

犬養毅が満州で暗殺されたことを重く見て、日本は満州議定書を結び、満州国を承認。国際連盟では満州国を不承認とする議決がされたことから、日本は国際連盟から脱退してしまう。

・二二六事件

皇道派の青年将校らが永田町一帯を占拠。この結果日本は国政に対して軍部の介入を強化していく。

・日中戦争

盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突したことをきっかけに日中戦争が勃発。しかし、戦争が長期化してしまい、日本は国家総動員法を公布。言論や経済の統制を強めていく。

正式に宣戦布告して戦争になったのではないということに注意!

第二次世界大戦、太平洋戦争

・1939年 第二次世界大戦

ドイツがポーランドに侵攻したことを受け、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまる。

・1940年 日独伊三国同盟

日本は日中戦争中であったため、最初は対戦不介入の方針を出したが、陸軍を中心にドイツとの軍事同盟締結の声が強まってきた。政策として日本を中心とする「大東亜共栄圏」建設を掲げるようになる。北ベトナムへの進駐を開始するとほぼ同時期に、日本、イタリア、ドイツの三か国間で、日独伊三国同盟を締結する。

・1941年 日本の南方進出とABCD包囲網

日本は石油資源確保のため、南部仏印への進駐を開始。アメリカが態度を悪化し、経済封鎖として石油を輸出禁止にする。

アメリカ、イギリス、中国、オランダにより経済封鎖がされたことからABCD包囲網と呼ぶ。

・1941年 太平洋戦争の開始

日本は対米戦を決意し、真珠湾を攻撃、アメリカとの戦争を開始する。また併せてイギリスの支配下にあるマレー半島にも奇襲攻撃を行う。

1942年のミッドウェー海戦をきっかけに日本が劣勢になり、1945年3月には硫黄島の守備隊が全滅。東京大空襲が行われ神戸、大阪、名古屋が大空襲に合う。1945年8月6日に広島、1945年8月9日に長崎へ原子爆弾が投下され、8月14日に日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏する。

戦後の日本について

ここからは戦後の日本について解説していきます。

マッカーサによる統治

マッカーサーを最高司令官とするGHQにより統治された。間接的に統治されたというのがポイント

改革のポイントとしては以下の通り

天皇の人間宣言を行い、天皇の神格を否定。

婦人参政権が認められて、満20歳以上の男女に選挙権が与えられた。また女性議員が誕生した。

治安維持法、特高警察が廃止された。

経済の民主化

日本国憲法の制定

1946年に日本国憲法が制定。1947年5月3日から施工された。

経済の改革

財閥が解体された。

自作農創設特別措置法により、農地を強制的に政府が買い上げ、小作民に安く売り渡し自作農を創出した。

労働組合の結成され、労働者の団結権やストライキ権が保障された。

教育の自由化として、現在の小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、大学4年間という形態が採用された。

冷戦時代について

ここからは冷戦時代についてです、アメリカ中心の資本主義国家と、ソ連中心の社会主義国家が激しく対立して冷戦がはじまります。

中華人民共和国と大韓民国の設立

朝鮮半島ではソ連が占拠していた北部に共産主義の朝鮮民主主義人民共和国ができ、アメリカが占領していた南部には資本主義の大韓民国ができた。

さらに、中国国内でも毛沢東らが中華人民共和国を成立させた。

ドッジ・ラインとシャウプ勧告

アメリカの銀行家ドッジにより、1ドル360円の単一為替レートに設定がされた。また赤字を許さない超均衡予算の編成を行わせるドッジラインが発表された。

また、アメリカのシャウプにより、税制を所得税などの直接税中心にする制度が確立された。これをシャウプ勧告とよぶ。

朝鮮戦争の勃発

このような中、北朝鮮が共産主義国家として朝鮮半島の統一を試み、韓国に侵入したことから朝鮮戦争が勃発する。

アメリカは国連軍として介入し韓国に派兵。中国は義勇軍が北朝鮮を支援した。

日本としては、アメリカ軍に対する兵器の需要による特需景気効果があり、経済が回復していった。

日本の再軍備と主権の回復

朝鮮戦争の結果、アメリカが日本に軍事を配備することが困難になってきたため、日本に軍隊(警察予備隊)が結成された。さらに、アメリカでサンフランシスコ講和会議が1951年に開かれると、西欧諸国とサンフランシスコ平野条約を締結、翌年に発行となり、日本は主権を回復することができた。

また、日米安全保障条約を締結。このタイミングでは沖縄、小笠原諸島はまだアメリカの統治の基におかれていたことを注意。

 

冷戦後の日本

ここからは、冷戦後から、近代の日本について解説していきます。

55年体制と日本の国連加盟

1955年に自由民主党が結成。これ以降、自由民主党が与党、日本社会党が野党となる体制が1993年まで続く。これを55年体制とよぶ。

・1956年 日ソ共同宣言

領土問題が棚上げになっている日本とソ連で、国交が正常化。この結果日本の国際連合への加盟が同年の12月に実現した。

沖縄返還

・1969年 ニクソン大統領と日米共同声明が発表。

・1971年 沖縄返還協定が調印。日本への沖縄返還が実現

日中共同声明

1972年日中共同声明

田中角栄首相が、中華人民共和国との間で日中共同声明を発表。日中の戦争状態を終結し、国交樹立が実現した。

第一次石油危機

・1973年 第一次石油危機

第4次中東戦争がきっかけで第一次石油ショックが発生。原油の価格が4倍に跳ね上がる。深刻なインフレーションになり高度経済成長が停止。

日中平和友好条約

・1978年 日中平和友好条約

福田内閣の時に成立した。

第二次石油危機

・1979年 第二次石油危機

イラン革命が原因となり、第二次石油危機が発生。原油価格が3倍になる。しかし、第一次石油危機の教訓から対策を行っていた日本は急なインフレを起こすことなく経済はプラス成長を維持した。

3公社の民営化

・1895年に電電公社がNTTへ、専売公社がJTへ

・1987年には国鉄がJRになった。

以上!これだけ覚えれば多分大丈夫!!!
多いよー泣